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お別れ [家族]

25日は通夜

通夜に集まったのは親族のみ。

月は事前に大きな大きなおはぎを用意しました。

誤嚥を防ぐために、もう何年も固形物を口にしていなかったし、液体もとろみがついたもののみしか口にできなかったおばあちゃん。

おばあちゃんの大好きなあんこを旅のおやつに持たせてあげたかったので。。。

斎場でおばあちゃんと対面したんだけど、とてもきれいでした。

背中が大きく曲がってしまっていたため口が開いたままだったのはきちんと閉じられ、女性だからと皺ものばしてもらえていました。

乾燥を防ぐため、ベビーオイルをぬり化粧水をたっぷり使って保湿も完璧です。

病院で着せてもらった浴衣ではなく、襟にはきれいな花模様の刺繍が入れられたきれいな着物を着せられていました。

納棺師はとても細やかな気遣いをされる女性。

これまでで一番感動的な納棺だったと思います。

参列者全員で一緒におばあちゃんの旅支度をしてあげました。

足袋、脚絆、数珠、三途の川の渡し賃、愛用していた着物、旅のおやつのおはぎ、杖、入れ歯。。。

丁寧に丁寧に旅支度を整えました。

そして、寒いからと真綿でできた草履と着物、羽織に布団は2枚。

これらと刺繍の入った着物は全て葬儀屋さんのご厚意で用意されたものでした。

26日は夫と一緒に朝6時に出発。

通勤時間にぶち当たるし、16号は要所要所でものすごく混むので、万が一を想定して所要時間を3時間以上と見ていました。

お坊さんはお時間があるからと、火葬と埋葬まで同行していただけることになりました。

最後のお別れで花入れの時、もう泣けて泣けて仕方ありませんでした。

たくさんの花で飾られたおばあちゃんに、母が「おかあちゃん、おかあちゃん」って何度も声をかけていたのが印象深かったです。

伯母もたくさん声をかけていました。

月も「おばあちゃん、今までたくさんありがとう。」って何度も言いました。

今にも起き上がりそうな、安らかな姿。

でも、両手で顔を触ると本当に冷たい。

いつかこんな日が来ることはわかっていた。

でも、見送るのは辛いよね。。。

棺の蓋が閉じられ、花束を乗せたのですが、月は棺から手を放すことがなかなかできませんでした。

月は今回初めて遺骨の確認をしたのですが、これは本当に辛かった。

おばあちゃんの遺骨は白くてとてもきれいでした。

母は「人ってあっけないね。もう会いたくても写真でしか会えない。親が死ぬなんて思ってなかった」と言っていました。

父親の記憶がない母は親が亡くなるのは初めての経験。

月は父が22年前に亡くなったので、親を亡くした先輩だね、って思っちゃった。

この後は、お墓に埋葬。

月はやっとお墓の場所がわかりました。

これからはおばあちゃんにもひいおばあちゃんにも会いに行かれるね。

澄壽日安信女(ちょうじゅにちあんしんにょ)

おばあちゃんの戒名です。

通常は「日」ではなく「妙」をつけられることが多いそうですが、おばあちゃんは一つ格が上の文字を付けていただけました。

行年101歳ということで、「壽」の字も入ったそうです。

予算外で真綿の着物や布団、花、杖などを用意していただけたり、お坊さんにはお墓まで同行していただけ、しかも戒名もいい文字を入れてもらえた。

おばあちゃん、生前はいいことばかりしていたもんね。

おばあちゃんの人柄が、きっとそうさせてくれたんだと思う。

22年前父が亡くなった時、おばあちゃんの手を握って「長生きしてね」とお願いした通り、おばあちゃんはとても長生きしてくれました。

おばあちゃん、ありがとう。

おばあちゃんの優しさで月は大きくなりました。

 

P.S.夫

いつも月を支えてくれてありがとう。

今回ばかりは心身ともに消耗が激しくて、なかなか体調が元に戻らず心配させてしまいました。

悲しいのはまだまだ薄れないけど、あなたがいてくれるから月は大丈夫です。

 

 

 


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